塗装・塗料のコラム

2015
10.28

塗料の歴史

こんにちは!ぬりかえDr.の技術顧問、プロッサーKです。
 
今回は  塗料の歴史  についてご紹介したいと思います。
色つけるもの=塗料とすると、人類の起源にさかのぼるほどの歴史があります。
石器時代には洞窟の内壁、天井に動物の絵を描き、日本でも縄文時代に土器に色がつけられ、死者を埋葬するとき体に赤土を塗って葬る習慣がすでにあったと言われています。
 
 
■有史以前の塗料
塗料は有史以前から使われていたことがヨーロッパの洞窟壁画で確認されています。
 

20151028_1

 

壁画の色は赤色が主体ですが、白、黒、褐色、黄なども使われています。それらは色土やススなどと、動物の血液や樹液を混ぜ合わせて指や枯草、木の枝などを用いて画いていたようです。
最古のものは、旧石器時代後期のアルタミラ洞窟壁画と言われており、野牛、イノシシ、馬などの動物が画かれています。

 

 

■有史時代の塗料(エジプト文明・メソポタミヤ文明・インダス文明の時代)
有史時代に使われていたのは、天然アスファルトです。地表に湧き出した原油の軽成分が揮発して残ったもので、自然に作られたアスファルトです。
アスファルトは熱を加えると溶けて液体になり常温に戻すと固まる性質があるため接着剤として、水をはじくので防水剤として、また殺菌性に優れることから防腐剤として使われていました。
最初に使われたのは紀元前3,800年頃、メソポタミヤ文明やインダス文明では建材の接着剤兼防水剤として使われ、エジプトではミイラの防腐剤として活用されていたようです。日本では縄文時代の遺跡から石の矢じりや、動物の骨を利用したモリなどの接着剤として、また漆器などの下塗りとして天然アスファルトが使用された形跡が残っています。

 

20151028_2

 

 

■漆塗りの起源
漆の語源はその仕上がり状態から水に濡れたようなみずみずしさや、艶やかさを表現した仕上がりが得られることから「るわし(麗し)」「うるむ(潤む)」から来ているようです。
漆はウルシ科ウルシ属の落葉高木で、その樹皮からにじみ出た樹液から得られる乳白色の液体で、人の皮膚に付くとかぶれる性質があります。漆を放置すると乾燥固化しますが、水が蒸発して乾くような単純なものではなく、成分に含まれる酵素の働きで空気中の水分から酸素を取り込み、その酸化反応によって液体から個体に変化して乾燥固化します。漆の化学構造式は複雑で現在の技術を馳駆しても人工的に合成するのは不可能と言われています。

 

20151028_3

 

 

漆塗りは6200年前の中国の遺跡で発掘されたものが最も古いと言われていましたが、6800年前の縄文時代の遺跡から、漆塗りされた竪櫛や髪飾りなどの装飾品の数々が発掘されたことなどから、現在では漆塗り技法は我が国が発祥地である可能性が高いと考えられています。縄文遺跡の堅櫛は、16本の櫛歯に横木を渡して、植物繊維でより合わせ、頭部を半円形に加工されたもので表層には赤漆で6層も塗り重ねられている手の込んだものでした。

 

 

20151028_4

 

 

余談ですが…
子供のころ近所の悪ガキが連れだって、山に行きウルシの木を見つけると、かぶれやすい新芽を顔にこすりつけて、度胸だめし?を競ったものです。私はきっちりとかぶれて顔中にブツブツができて負けましたが、中には全くかぶれない奴もいました。(笑)

 

 

■彩色と顔料
エジプトからメソポタミア、ギリシャへと時代が移り変わるにつれて色は壁画、装飾具にも幅広く使用されるようになり、優れた美術的要素を持つものに進化しました。顔料の種類も増えて使用量も多くなることから、人工顔料が開発されます。

 

古代エジプト人は青色を神聖視して好みました。その頃の青には高価で貴重な天然鉱物顔料「ウルトラマリン」が使われています。「ウルトラマリン」はラピスラズリという鉱物を磨りつぶして顔料にしたもので、アフガニスタン北部山脈の乾燥地帯のみで採掘される希少な宝石でした。

 

 

20151028_5

 

 

絶世の美女として名高いクレオパトラも「ウルトラマリン」をアイシャードーとしてメイクに用いていた様です。その他の青として「トルコ石」がありましたが、いずれも希少な鉱物で高価で入手が困難であつたことから、古代エジプト人たちはこれらに代わる人工顔料として有名な「エジプシャンブルー」を開発しています。原料の硅砂、炭酸カルシウム、孔雀石にソーダー灰を加え高温の800~900℃で焼成して製造しますが、精度の高い温度調整が必要で、この時代としては驚くべき技術であったと言えます。

 

 

20151028_6

 

 

我が国の色をつけるという起源は縄文時代草創期だとされています。その後、弥生時代に入り卑弥呼の時代、中国の魏志倭人伝に残された資料に「倭人の男は顔や身体に入れ墨をしている」との記述が残されていて、当時の男達は入れ墨で顔体に色をつける風習があったと考えられています。また卑弥呼が魏王に使者を遣わしたお礼として銅鏡百枚、真珠と鉛丹各五十斤を授けた記述がありますが鉛丹が我が国に関係する最古の顔料としての記録です。鉛丹は鉛を高温で溶かし酸化させて作る、あざやかな橙色の顔料で光明丹、赤鉛と呼ばれ、最近までさび止め塗料に使用されていた顔料です。この鉛丹が何に用いられたかはわかっていませんが、宮殿を彩る塗料として、また化粧用、絵具として使われていたと考えられています。

 

この時代の赤顔料は先ほどの酸化鉄の弁柄、硫化水銀の水銀朱(辰砂)が使われていましたが、中でも水銀朱は九州の八代から長野諏訪湖までの東西に走る中央構造線に沿って多く産出していたようで、古事記や日本書紀にも辰砂(硫化水銀)の存在が書かれています。水銀朱は神聖視され、そして防腐性能に優れていることから、古墳時代の墳墓の石室や木棺に大量の水銀朱が使われました。また、辰砂、赤土、黄土、青土、石灰、墨、金、銀、紺青、鉛丹、鉛白などの顔料は、古墳時代後期描かれた有名な高松塚古墳の壁画、法隆寺金堂の壁画の絵具として使用されています。

 

 

20151028_7

 

 

今回は、昔々の塗料の起源のお話でした。いかがでしたでしょうか?
人間と塗料の長い歴史について、少しでも理解を深めていただけたならうれしいです。

 

さて、次回は文明開化の「塗料の夜明け時代」の話をいたします!
ご期待ください。