塗装・塗料のコラム

2016
7.8

外装塗材の興隆

こんにちは!ぬりかえDrの技術顧問、プロッサーKです。

今回は1950年(S25)から1975年(S50)の戦後の日本が急激に豊かになって行く時代に誕生し変遷を経て隆興してきた外装塗材についてお話しいたします。

この時代の技術革新は目覚ましく鉄鋼、電力、自動車、造船、電機、石油化学など各産業で技術革新が進み経済が発展する状況のなか大都市圏への人口流入が急速に進み都市部の住宅の極端な不足が深刻化します。

その対策として1955年(S30)に政府の肝いりで日本住宅公団(現・都市再生機構:UR)が発足されます。その目的は「勤労者のためにできるだけ早く不燃性の住宅をつくり、しかもそれは集団的な文化的な居住地として建設してゆくのがこの公団の目的である。」とされ、初代総裁となる加納久朗の高い志を持って、夜間の突貫工事も辞さずして取り組み、早くも翌年には大阪堺市に第一号の金岡団地、続いて千葉の稲毛団地、東京葛飾区青戸など団地が次々と竣工されていきます。

日本住宅公団によって建設が始まった大量の集合住宅は不燃の鉄筋コンクリート造(後にPC工法も採用)でシリンダー錠、ステンレス流し台、風呂、水洗トイレ、ベランダなどを備えた近代的な作りで、当時のサラリーマンの憧れの住まいでした。このころ団地族、三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)などの流行語が生まれました。

我が国で先陣を切って短期間に膨大な集合住宅を供給した日本住宅公団が取り組んだ仕上げ材と工法の開発はまさに外装塗材の牽引役となりました。

 

セメント系建材メーカーの台頭

当初の仕上げは着色セメントを水で溶いたセメントウォーターペイントをブラシで塗り付ける工法でしたがこの方法では工事が追いつかなくなり、スピードの速い吹き付け工法を採用し塗材にはセメントリシンが用いられています。

仕上げの職種は従来の左官職から吹き付けを専門とする「ガン吹き屋」という新たな職業が生まれて急増する住宅を次々と短工期で仕上げることを可能にしました。

ちなみにセメントウォーターペイントはドロマイトプラスター+砂+セメントからなり

セメントリシンは撥水剤のステアリン酸カルシウム等を添加したセメントウォーターペイントに骨材として珪砂、寒水石を混合する砂壁状仕上げ塗料のことで、水をかけると撥水するので防水リシンと呼ばれていました。

余談ですがリシンの名称は明治時代にドイツから導入された左官材料の「リシン掻き落し」から由来しリシンは商品名のようです。

砂壁状の意匠が得られる防水リシンは当時、集合住宅を一番多く供給する日本住宅公団に外装仕上げ材として採用されますます広がっていきます。

当時のコンクリートの打ち放し面は精度が悪くモルタルを数回も塗る必要があり手間とコストがかかっていましたがここにも省力化のメスが入ります。

型枠の精度を高くして平滑性が改善されて工期とコストの削減が達成します。

そして塗料も薄膜のセメントリシンから、多少下地の精度が悪くても影響の少ないセメントスタッコ、吹き付けタイル、クレーター仕上げなどの厚膜塗材に移行します。

中でもドイツから持ち込まれたボンタイルのクレーター仕上げは多色吹きで高級な仕上がりが得られることから著名な京王プラザホテル、大阪のOMMビルにも採用され一躍有名になります。

これらのセメント系材料はイビケン、宇部興産、四国化成、日本スタッコ、ボンタイル、ヤブ原産業などの建材メーカーから供給されています。                        これらのメーカーが会員となり1965年(S40)に日本防水リシン工業会(現 日本建築仕上材工業会)が発足されます。

しかしその後、セメントの欠点である現場での水との粉末の混練りに手間がかかり品質がバラツク、冬期には表面が白くなる白華現象(エフロレッセンス)、早期の退色、はく離が多く発生するなどの致命的な欠陥が続出し、エマルション樹脂などを加えて改質を試みましたが根本対策には至らなく衰退の道をたどります。

 

外装塗材メーカーの参入

セメントでは対策に限界があることからセメントに代わり合成樹脂エマルションを用いた樹脂リシン、吹き付けスタッコ、吹き付けタイルが現れます。

セメント系と異なり合成樹脂エマルション塗料は現場での作業は格段に改善され品質は安定し耐久性も向上します

合成樹脂エマルション塗材で先行したメーカーは恒和化学工業(現 ダイフレックス)、鈴鹿塗料(現 スズカファイン)、菊水化学工業、山本窯業工業、四国化研(現 エスケー化研)などのメーカーでした。

 

塗料メーカーは

そのころの塗料は外装用としての明確な区別はなく薄膜のEP(つや消しエマルションペイント)、溶剤形のアクリル塗料、塩化ビニル塗料がモルタルの着色に使われる程度でした。

EPは当時、油性塗料などに比べると耐アルカリ性は良かったのですが、それでも冬場若いモルタルに塗装するとモルタルからアルカリ成分がブリード(にじみ)して変色したりエフロレッセンスを起こしたりするクレームが続発します。

モルタルからのアルカリ成分の遮断にはエマルションでは困難であることから塗料シンナー(白灯油に近似)で希釈する環化ゴム樹脂のアルカリ止めシーラーを開発しています。

余談ですが塗料の下塗りにシーラーとプライマーと呼ばれるものがありますが基本的にはシーラーはコンクリート・モルタル、木部など多孔質素材の下塗りに使われています。プライマーは金属、亜鉛、アルミの様な非金属に使うさび止め塗料に用いられシーラーの語源はseal(塞ぐ)からでプライマーはprimary(最初の)からの由来です。

 

塗料メーカーの参入

当初の塗料メーカーは外装塗材メーカーとは一線を画していましたが、塗料メーカーは関西の会社が多いことから外装塗材が売れると見るとすぐさまに参入しました。

日本ペイントも合成樹脂エマルションのニッペリシンから始まり、吹き付けタイルの「ニッペタイルラック」を発売しました。

日本ペイントの外装塗材市場への進出については当時の上層部は従来のペンキ屋さんから少し乱暴に見えたガン吹き屋さんの世界に参入するのにはかなりの抵抗があったようです。

技術も自動車塗料のような超分散とか粘性を論じる塗料とは違ってドロ、粘土のようなものですからギャップが大きく自動車の技術から「これ塗料?」などとからかわれて肩身の狭い思いをしたものです。

外装塗材(ぬりざい)は塗料の範ちゅうに入りますがJISの分類は別体系で塗材は国土交通省で塗料は経済産業省の管轄となっています。

業界も分かれていて、塗材は日本建築仕上材工業会、塗料は日本塗料工業会に属していますが特に仲が悪い訳ではありません。

外装塗材の主流となりました吹き付けタイルの仕様はシーラー+ベース塗り+トップコート2回の4回塗りの仕様です。

ベース塗料はアクリル樹脂エマルションが主体でエポキシ樹脂系もあります。

塗装は吹き付けでノズル口径が大きいタイルガンと呼ばれる吹き付け器で玉状模様に吹き付けていきます。

トッコートは溶剤形の酢ビ・アクリル樹脂系が多く使われましたがエアーレス塗装で飛散が多く環境面からウールローラーによる塗装になり、そして溶剤形から水性塗料に変わって行きます。

汎用の世界では日本ペイントはペンキメーカーのイメージが強く、ガン吹き屋さんからはニッペが外装塗材を販売していたことを知らなかったとか「ニッペタイルラック」は市場で有名だった鈴鹿さんの「ラフトンジャンボ」をもじって「ニッペのジャンボ」を買いに来たとか知名度がありませんでした。

関西ペイントさんは慎重で外装塗材へはさらに遅れて参入されました。

日本ペイントが外装塗材メーカーとして市場で認知されるのは、次回お話しをする単層形弾性塗材のニッペDANユニが市場で有名になる1980年(S55)までかかっています。

 

新築市場から改修市場へ

1970年(S45)から1975年(S50)の第4次マンションブームで樹脂リシンと吹き付けタイルは新築市場で最盛期を迎えました。

そしてこの頃には第1次、2次マンションブームの建物が塗り替えの必要な時期に入って来ることから塗料も変化の兆しが表れます。

塗り替え塗装は居住者が入居されている状態で塗装することから騒音と飛散と悪臭は厳禁で塗装方法は吹き付けからローラー塗装へ、塗料は溶剤形から水性塗料に移行して行きます。

さらに第1次マンションブームに使用されたセメントリシンは指で擦るとボロボロと塗膜が削れるまでに強度が低下していましたので、今まで使用してきたシーラーでは付着

力が弱く、そのためには脆弱化したセメントリシンに浸透・固化する浸透形シーラーが必要になったり、ひび割れたコンクリートの修復方法などの新たな塗り替え塗装の時代を迎えることになりました。

終わりになりますが外装塗材が生まれてわずか60年しか経っていませんが、この外装塗材の誕生から発展に功績されました日本住宅公団に対して深く敬意を表します。

次回は外装塗材分野の技術革新となった弾性塗料についてお話しいたします。